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スイスで女性参政権の導入が遅れた4つの理由

1972年、スイス連邦議会に初めて誕生した女性議員たち Keystone

「とにかくそれは不要だということなので、私には何もできない」―1982年、スイス東部・アッペンツェル・インナーローデン準州に住む女性はテレビのインタビュー他のサイトへで肩を落とした。ランツゲマインデ(青空議会)で、州レベルの女性参政権の導入が否決されたからだ。

このコンテンツは 2019/08/20 10:00

スイス人男性は、女性の参政権を実に長い間欲してこなかった。ニュージーランドでは1893年から女性が投票できたのに、スイスでは1971年になってようやくだった。アッペンツェル・アウサーローデン準州の州レベルの投票権は1990年、連邦裁判所が鶴の一声を挙げるまで認められなかった。

スイスは特別時代遅れなのだろうか?歴史を紐解くと、世界的に権力と参政権は長らく男性の手中にあった。国王、独裁者、大統領、議会、裁判官として、国の重要事項を決めるのは男性であり、大半の文化地域で女性に政治的な発言権はなかった。つまりスイスは特殊事例というわけではなく、女性に対する抑圧は普遍的な慣行だったという悲しい事実がある。

スイスが特別だったのは直接民主制だ。他の国と異なり、スイスでは女性の参政権は政府が決めるものではなく、男性国民が投票所で決めるものだった。古くから築かれた男性民主制が、女性のための民主化への道を阻害した。

誰しも自ら簡単に権利や特権を手放さない。他の国でも男性による住民投票にかけられていたら、女性の参政権が認められるのはもっと遅かったかもしれない。

もう一つ特殊事情がある。20世紀の二つの大戦で、中立国のスイスは幸いにも戦禍を免れたことだ。周りの国は戦後に大きな体制変動があり、女性参政権を認めるハードルが下がった。

兵役も重要な要因の一つとなった。スイスでは長い間、戦争へ意思表明する宣言を決める権利があるのは兵役義務のある者(男)だけだというのが定式だった。彼らこそ戦地に向かわなければならないからだ。兵役義務のない女性に参政権を認めることは、この定式が崩れることを示す。

もちろんスイスの保守的な国民性もある。1982年のテレビインタビューでは、アッペンツェル・アウサーローデン準州の女性がこう明言した記録が残っている。「女は住民投票に行くより、家で料理でもしていたいのさ!」

こうした諸々の逆風を乗り越え、過半数のスイス人男性の賛成を取り付けることができたのは、実に画期的なことだった。男性が女性参政権に賛成票を投じることは、自分の一票の重みを半減させることを意味することを考えればなおさらだ。多くの男性が、平等と社会的な平和を自分の利益だとみなしたという事実を踏まえると、経済、政治、社会的平等もいずれ実現すると期待がかかる。

※この記事は2017年3月に独語等で配信した記事の翻訳です。

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