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ウジェーヌ・グラッセのイラスト画、パリ、1894年(Gribaudo/Leemage) Gribaudo/Leemage
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カレンダー「La Belle Jardiniere」の9月、1896年(Photo12/Archives Snark) Photo12/Archives Snark
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キンレンカの観察画、リトグラフ、パリ、1897年 (Florilegius/Leemage) Florilegius/Leemage
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ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)の新たな人生、リトグラフ、1894年(WhiteImages/Leemage) Whiteimages/Leemage
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書体「グラッセ・ローマン」のデザイン。1900年のパリ万国博覧会で紹介された Grasset
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キンポウゲの観察画、リトグラフ、パリ、1897年(Florilegius/Leemage) Florilegius/Leemage
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キンポウゲの模様が入ったアール・ヌーボー様式のタペストリーと花瓶、パリ、1897年(Florilegius/Leemage) Florilegius/Leemage
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「Harmony」に描かれる楽手と動物、パリ、オルセー美術館、1893年(Josse/Leemage) Josse/Leemage
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空を征服する人間 — パリの頭上を飛び交う飛行船や熱気球、1909年2月刊行「Figaro Illustrious」のカバー、装飾芸術図書館、パリ(Josse/Leemage) Josse/Leemage
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カレンダー「La Belle Jardiniere」の7月、1896年(Photo12/Archives Snark) Photo12/Archives Snark
スイス生まれのウジェーヌ・グラッセは、19世紀末からパリを中心に流行し日本にも波及した装飾的芸術、アール・ヌーボーに決定的な影響を与えたと言われる。後にフランス国籍を取得した彼は、今からちょうど100年前に亡くなった。
このコンテンツは 2017/12/12 12:00
2015年よりswissinfo.chの編集委員会メンバー。2006年から15年までチューリヒの投資家向け新聞フィナンツ・ウント・ヴィルトシャフトのリテールバンキング部門を担当。2014年に独ライプツィヒ大学大学院で修士号取得(ニューメディア・ジャーナリズム)、1999年にベルン大学で経済学の修士号相当学位(Lizentiat)取得。
ウジェーヌ・グラッセは1845年にローザンヌで生まれた。建築を学ぶためにチューリヒへ赴いたが中断し、エジプトを訪問した後に画家、そして彫刻家として働いた。26歳のときにパリに移り住む。
キャバレー「ル・シャ・ノワール」に集まる芸術家や、印刷業者のシャルル・ジローらと接点があったおかげで、グラッセは家具、イラスト、ポスターデザインなどを産業的、美的に革新する動きに携わった。
1894年にサロン・デ・サンで展示会を開いた後、グラッセは当時芽生え始めていた革新的な装飾芸術様式で、フランス語で新しい芸術を意味する「アール・ヌーボー」の先駆的存在となった。スイス人画家アウグスト・ジャコメッティ(1877~1947年)もその一人に数えられる。
フランスの出版社ラルースの看板となった有名な作品「Semeuse à tout vent(仮訳・タンポポの種を飛ばす女)」の他にも、グラッセは自分のオリジナルの書体「グラッセ」をデザインした。1900年のパリ万国博覧会ではアクセサリーのデザインで大成功を収めた。
1917年10月23日、グラッセは72歳のときにフランスのソーで他界した。
(独語からの翻訳・シュミット一恵)
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